穴石神社
三重県伊賀市石川2291 its-mo
鳥居

交通案内
佐奈具駅西北4km
祭神
木花佐久夜比賣命、天長白羽命、仁徳天皇 合祀 香香背男神 など (平成祭礼データ)
素盞嗚尊(特選神名帳:大和穴師坐兵主神社と同神として)
拝殿と背後の森

由緒
『日本の神々6』によると、『伊勢国風土記逸文』に、伊賀の安志社に坐す神は、出雲の神であるオオナムチの神の子である出雲建子命、またの名は伊勢都彦である。伊勢都彦は石の城を作って住んでいた。伊賀の阿倍志彦の神がやってきてそれを奪おうとしたが、勝てないので逃げ帰ったと記載されている。この伊賀の安志社に比定されていることを紹介している。さすれば祭神は出雲建子命(伊勢津都彦神)と言うことになる。
同書によると、伊勢津都彦神は当社から東北3kmの風の森と言う風の強う地域に祭られていた杉本神社の祭神で、当社に合祀されているとのこと。
風土記には伊勢津都彦は風にのって光輝いて東へ去ったともあり、「風神」でもあった。アナシの風とは東北から吹く季節風との説もあり、これから見て、阿山郡伊賀町大字柘植町の都美恵神社をして式内社の穴石神社に比定する考えが有力である。
伊勢都彦は諏訪に逃れて建御名方神となり、再び伊賀の知に戻り、西の大和高原へ勧請されていったのではなかろうか。
本殿

お姿
拝殿前の庭の手前に広い庭がある。また鐘楼が残っている。
本殿横は草原で社殿が丸見えであり、逆に正面からは背後の山裾の木々がよく映えて、いささかアンバランアスな対照をなしている。
お祭り
4月16日 例祭
由緒 平成祭礼データ
穴石神社御由緒
本社は延喜式(西暦928年)内社にして神名帳に、穴石神社とある。その創立は不 祥であるが「清和実録」に「真観元年(西暦858年)巳卯正月27日庚申京畿七道
諸神進階及、新叙奉授伊賀無位穴石神従五位下」とあるので、それ以前であることは 明らかである。
又図書に「石川村天津社是か其社地甚旧く社頭の結構尤古稚にして、古来の式社と云 うべし、旦名張郡国津社を以って国(伊賀国)の南辺を鎮し、本郡天津社(本社)を
以って国の北辺を鎮し、国の中央敢国津社を以って中極を鎮し、一の宮と称す」とあ る。按ずるに、一名天津社とも称されていたと思われる。
古来本社の所在については古書に各説があるが、藤堂元甫「三国地誌著者」の石川村 天津社の説が正しいとして認められている。天正9年(西暦1581年)伊賀の乱に
より、社殿、古書等は悉く焼失した。明治39年9月より大正2年4月の間において 、字内及境内に奉斎されていた各社を合祀して、穴石神社と単称することになった。
以上 |
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